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PARC

国際舞台芸術交流センター
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震災にあたって
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    丸岡ひろみ
    国際舞台芸術交流センター(PARC)ディレクター
    2011年3月24日

    KAMSの中でも最も長いつきあいのある人から、「日本の代表としてではなくて、現場のアートマネジャーの一人として、今の状況で伝えたいことを書いて」ほしいという依頼のメールを日本語でいただきました。「韓国でも三月に特に日本の舞台が多く、私自身も地震の翌日に新宿梁山泊の舞台を、昨日は新国立劇場の舞台を、来週にはチェルフィッチュの舞台を、予定通り見ることになっています。一方で、来韓予定だった外国の舞台は震災のことで中止になりました。この中で個人的には、やはり芸術は何をすべきかを考えざるを得ないです。それで、時期が適切ではないともおもいつつ、日本の方からお話を聞きたいと思ってきました」。取り返しのつかない原子力災害を引き起こしてしまったこの国の国籍を持つ人間に、今のタイミングで発言する機会を提供しようとしてくださったことに感謝します。

    この地震が発生して以降、海外の友人たちから貰ったメッセージには、「stay strong」「be strong」という言葉が多く使われていました。こういう局面で勇気づけてくれるために自然に出てくる言葉なのではないかと思いますが、そうしたメッセージを受け取りつつ、いったい何をして強くあれるのかということを、職業人の言葉でいま一度言わなければならないと思いました。

    地震そのものは自然現象ですが、それには人が引き起こす人災も伴います。私はとりわけ原子力発電所の事故は次元の違う問題として深刻に受け止めています。被害の規模と性質が深刻なだけでなく、自然を支配しようとして自然を最大限に利用し、その結果自然の自己保存能力を超える自然破壊と人間自身の生存条件の危機を引き起こしたことは、社会と芸術の条件に直接関わっているからです。

    近年すでに、少なくとも私の知るかぎり、日本とヨーロッパの舞台芸術関係者の間では、経済危機や政治的保守化による公的芸術支援の縮小が問題になり、芸術の存在意義、芸術に何ができるか、といったテーマで議論がなされてきました。そうした議論の必要性をここで疑問視するものではありませんが、この問題設定の背後には、芸術が存在し得なくなるかもしれない、あるいは芸術に何もできないならばその存在理由を説明できないかもしれない、という仮定があると思います。まず言いたいのは、多くの人が言ってきたように、どのような状況であれ、芸術は必ずあるということです。役に立つか立たないかというのは、社会がそこからどんな利益を引き出せるかということであって、芸術そのものの条件ではありません。芸術そのものは常にあり続け、芸術そのものとしてあるだけで芸術は十分だということをまず、いま一度確認したいと思います。

    日本では今、「心のケア」が大事だとマスメディアを通して訴える人が多いように思います。被災者にも、放射能に対する「過剰な恐怖心」にも「心のケア」が必要だというのです。ここに芸術が導入されたらどうなるでしょう。そうなれば社会と芸術が無矛盾に調和し、全体が形づくられることになるでしょう。芸術はその存在意義と使命を得ることになるでしょう。しかし、もし芸術がそのような形だけで機能する社会が生まれるとすれば、それは自然の自己保存能力を超える自然破壊と人間自身の生存条件の危機を引き起こしたにもかかわらず、それを「心」の痛みとしてしか認知せずにすむような社会なのです。

    私は、日本でこの地震の直前まで、あるいはもう数年前までかもしれませんが、あたりまえとされていたような生活水準をいつまでも維持することは不可能であると思っていました。それでここ十年ほど試みていたのが冷蔵庫、エアコン、そしてテレビなしで生活するということです。このささやかな個人的な試みが、私に何らかの発言権を与えてくれるとは考えていません。ただやってみて分かったのは、より少なく消費するということだけではなく、前提を問い直すことが重要だということです。そしてあえて芸術に何ができるかと言うならば、前提を問い直すということ、それも徹底的な形で問い直すということではないかと思います。

    芸術が徹底的に前提を問い直すことができるのは、社会の絶対的な外部にあるからです。あるいは社会の絶対的な外部にあろうとする行為自体が、前提の徹底的な問い直しとして現れることもあります。あるいは前提を徹底的に問い直したために、社会の絶対的な外部に追放されるということもあります。そして、いずれにせよ、アーツ・マネージャーという言葉で大まかに定義されている職業は、この外部性をいま一度社会に送り返すこと、芸術を通してあらゆる前提を再検討し、社会の「利益」というものを再定義することに関わっていると思います。

    なぜなら、社会は常に自己を更新しなければ存続し得ませんが、更新の契機は社会自身の内部には存在しないからです。社会が芸術の必要性を声高に表明するということはあまりないように思えます。社会は常にそれ自体だけで十全であるかのように振る舞う、つまり外部を必要としていないように振る舞うからです。しかし社会は、本質的には、自分自身の存続のためにも、芸術を必要としているのです。そのことを明らかにしていくことが私たちの仕事ではないかと思います。

    地震そのものは、余震がまだ続いて安心できる日々ではないものの、とりあえず収束をみつつあり、復興に向けての尽力がされはじめています。しかし原発事故は現在進行中であり、その最も直接的な被害を受けているのは地震の被害者たちです。そして原発事故は、収束するにしても最悪の帰結に至るにしても、社会の復興だけでなく更新を余儀なくさせるものです。それが起こり得る条件を作ったこの社会のまったき一員として、同時にアーツ・マネージャーの一人として、どうこの社会を更新するのかが問われていると感じています。

    ※韓国の支援団体のひとつであるKorea Arts Management Service (KAMS)発行するウェブマガジン「weekly@arts management」の依頼により書きました。

    ※※KAMSの該当頁はこちらはです。下方に日本語及び英語原稿のPDFファイルのリンク先があります。

    ※※※当ブログで英語版も掲載しています。


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